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曾我ひとみさんをご家族のもとへ帰して(3

2004415

宇佐美 保

 

 曾我ひとみさんの談話や手記から、ご家族との生活こそが掛け替えのない宝物なのだという事が、私の眼に旨に飛び込んできて、その度に涙ぐんでしまいます。

ですから、又、本拙文を書いていましたら、次の朝日新聞(4月15日付)の記事を眼にしました。

 

 拉致被害者の曽我ひとみさん(44)=新潟県佐渡市=は帰国して1年半となった15日午前、同市内で会見した。「待つということは苦しくてつらいが、愛する家族を信じて待つだけです」と心境を語った。北朝鮮に残る家族の帰国について、「母親として今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい気持ちは毎日思っている」と述べたが、いったん北朝鮮に迎えに戻るという案には「日本で待ちます」と言い切った

 北朝鮮についてどう考えているか、との問いには、「難しい質問」としたうえで、「私たち家族のことをもっと深く理解して、一日でも一緒に暮らせるようにしてほしい」と語った。

 進展がない日朝交渉に関して、「いつも同じところで足踏みしている。もっと前に進むようにいろんな方法を考えてほしい」と政府に注文した

 

 更には、曾我ひとみさんが、共同通信に2003年10月3日に寄せた手記を、中村 直人氏のホームページより抜粋させて頂きます。

http://member.nifty.ne.jp/TokyoWorks/Japanese/second_autumn_J.htm)

(中村氏のホームページで、全文を是非御一読下さい)

 

二度目の秋

もう一年という月日が、流れようとしている。わたしにとって結婚してから、こんなに長く一人になったのは、初めてだった。日本に帰って、もう二度目の秋です。

前は、秋が大好きでした。静かで、ちょっぴり寂しくて、山も空も、とってもきれいだからです。でも今年の秋は嫌いです。寂しすぎます。もう一人は嫌です。
……

わたしにとって悲しい時、寂しい時、いつでもそばで、やさしくしてくれ、時には強くしかってくれて、慰めながら、喜び、悲しみを四人で分け合いながら、二十四年間を乗り越えてきました。わたしにとって一番幸せで楽しい時は、三人の笑顔を見ている時でした
そして一年四回の誕生日でした。大したごちそうはない。しかし四人はそれぞれ、小さなプレゼントをいつも用意した。プレゼントをもらった時のうれしさ。

プレゼントを渡し、喜ぶ顔を見る時、こうして年四回の誕生日、誕生日ケーキ。クリームをつけて上には、おめでとうと書いた。みんなおいしいと言って食べてくれた。
……

「大したことないじゃないの。わたしの家でもやっているよ」と思うかもしれません。

しかしわたしの家族は、こんな運命の中、偶然に出会い、知らない土地での生活、その中で芽生えた愛、そして、かけがえのない子供。そんな中で築き上げた、とても、とても大切な家族。世界で一番大切な家族

ある日、子供の誕生日の二日前に、渡せないと分かっていながらも、誕生日のプレゼントを買いに行きました。「六月一日。美花、誕生日おめでとう。もう二十歳だね。今日は一緒にいられなくて許してちょうだい。来年は、みんなで楽しい誕生日にしようね」。
……

とにかくみんな元気でいることが一番。ママの作った食事と一年分の誕生日を、全部一緒にやりましょうね。それまでとにかく元気でいてください。心より愛している家族へ。心を込めて…。

 

 更には、拙文《曽我ひとみさんをご家族のもとへ帰して》にも抜粋させて頂きましたが、今から丁度1年前の2003年4月14日付けの朝日新聞からの抜粋も再掲します。

 

むこうにいる夫と私と娘2人の家族。この二つの家族をばらばらにしたのはだれですか?

 そしてばらばらになった家族を又一緒にしてくれるのはだれですか?

 そしてそれはいつですか?

 心からよろこびあえる幸せの日を一日でも早く私にかえして下さい。

 

 何故、小泉首相、政府関係者、そして拉致議連などの方々の心は、この曾我さんの思いを感じないのでしょうか?

 

 私の心は、曾我さんの「今すぐ、北朝鮮の家族のもとへ飛んで帰って、家族と一緒に暮らしたい!」とのお気持ちを痛切に感じるのです。

 

 (曾我さんが、家族揃って日本で暮らす事が出来るのでしょうか?

曾我さんの御主人である韓国から北朝鮮へ脱走(?)した元米軍軍曹チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏の、日本での永住権に関して米国と交渉し、解決しているのですか?

 

 拉致問題解決の最も重要なことは「日本の国論が一枚岩である事」と事ある毎に声を上げる拉致議連関係の方々へ、遠慮してお気持ちをストレートに発言する事を控えている曾我さんを、尚、私はお気の毒に感じるのです。

 

 この様に、母親が、子供や夫に対する本当の心を訴える事が出来ない今の日本の風潮を悲しく危険と感じます。

(だって、マスコミ関係の方から、「曾我ひとみさんを北朝鮮のご家族のもとへ行かしてあげたら!?」との見解を眼にした事がありません。)

 

更に不思議なのは、共同ニュース(47日)には、次の記事が記載されていました。

 

 平沢氏が2日に提出した議連事務局長辞表の受理も正式決定した。声明は、平沢氏が了解を得ずに北朝鮮側と会談したことに対し「自らの功名のために拉致問題を利用する背信的行為」と批判。平沢氏の発言は「北朝鮮の主張を代弁して日本国民に周知させる効果をもたらしている」と指摘した。
 平沼会長は総会で「政府間交渉で堂々と交渉して、一致協力することが肝要だ」と強調。出席した拉致被害者家族会の横田滋代表は家族会、救う会も一体となって問題の解決に当たりたい」と訴えた。

 

 この様に、拉致被害者家族会の代表者としては、“家族会、救う会も一体となって問題の解決に当たりたい”と訴えねばならない立場の横田滋氏のお心を思うと、私は、とてもお気の毒と存じます。

 

 その根拠を、ここで拙文《曽我ひとみさんをご家族のもとへ帰して》から抜粋します。

 

かって、横田めぐみさんのお父さんが(家族会の決定は兎も角として)北朝鮮へ行きお孫さんのキム・ヘギョンさんへ会いに行きたいと語っていた画面をテレビで見た記憶があります。

ところが、3月11日付の朝日新聞には、次のような記事が載っています。

 

「救う会」が田中知事発言に反論 横田さん両親訪朝で

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親の訪朝をめぐり、田中康夫長野県知事が「救う会側が制約している」などと発言し、「救う会長野」は11日、記者会見して「事実誤認だ」と反論した。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」「救う会全国協議会」と連名で抗議文を送っている。

 田中知事は5日の県議会一般質問で拉致問題への見解を尋ねられ、「横田めぐみさんのご両親が平壌の地を訪れて真相を究明したいというものを、『救う会』をはじめとする方々が一方的に制約するということは何の根拠をもってしてかと大変にいぶかしく思っている」などと述べた。

 救う会長野の塚田俊明事務局長は「横田夫妻、とりわけ早紀江さんは当初から訪朝に反対していた。全員一致の考えであり、制約はあり得ない」としている。

 抗議について、田中知事は「横田さんの父親が孫に会って真実を確かめたいと訪朝を望んだが、周囲が押しとどめたと聞いている。横田さんの願いをくんでこそ、集団主義国家とは異なる日本ではないか」と話している。


 (私は、ここでの田中知事の姿勢に全面的に賛成します。)

このような状況下(家族会のみならず、今もって行くえ不明の方々への配慮も含めて)、どうして曾我ひとみさんが心の内をそのまま正直に表現出来るでしょうか?

 

 この様な状況の中でも、冒頭に転載しました記事では、曾我さんは“もっと前に進むようにいろんな方法を考えてほしい」と政府に注文した”と精一杯(未だに、行方の判らない多くの拉致被害者へのご配慮をされながら)訴えています。

 

 平沼会長始め拉致議連の方々は、この様な曾我さんの思いをくみ取る事が出来ないで、“政府間交渉で堂々と交渉して、一致協力することが肝要だ”と、頑なな姿勢を押し通すのでしょうか?

 

 この様な、拉致の会の方々や拉致議連の方々の動きを、どこか大政翼賛会的存在への動きのように感じ、私は、常々恐怖を抱き、もっと個々の方々に対して柔軟に対応してあげたらと思い続けていました。

 

しかし、asahi.com新潟4月14日)には、次のように書かれています。

 

北朝鮮による拉致被害者、蓮池薫さん(46)=柏崎市=の父秀量さん(76)が13日会見し、薫さんと妻祐木子さん(47)ら5人が帰国してから1年半になることを受け、「進展がなく、全くの膠着(こうちゃく)状態でした。残念でなりません」と語り、改めて小泉首相に再度の訪朝を求める手紙を出したことを明らかにした。薫さんも「首相と面会したい」と話しているという。

 

 更には、asahi.com (4月15日) には、次のように書かれています。

 

 北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さん(46)、祐木子さん(47)夫妻=新潟県柏崎市=が14日、同市内で会見し、帰国後1年半過ぎた心境を話した。北朝鮮に残る2人の子供について「親と子がなぜ一つになって暮らせないのか。外交カードのようなことに利用されるのは我慢できない」と、進展のない状況にいら立つ心情を吐露した。

 また、イラクで武装勢力の人質にされている3邦人について、「一日も早く解放されて、無事帰国してほしい。日本国民と国にとって、(北朝鮮による)拉致問題と同じくらい重要な問題だ」と話した。

 さらに、小泉首相との面会について、首相側が応じたことを明らかにした。面会は、他の被害者と相談したうえで、3月20日ごろに薫さんが電話で中山恭子・内閣官房参与に要望していた。面会日は決まっていない。

 

 この様な、蓮池薫さん達の働きかけによって、従来の「一枚岩」的でない対応が摂られるのかと期待しています。

 

 たとえ、日本全国民が「一枚岩」的に動いていなくても、小泉首相が自ら単身ででも、平壌へ乗り込んで、解決する意気込み「武士の心」を抱いてさえすれば、拉致問題は大きく前進するのだと存じます。

 

 なのに、私は、小泉首相に不信感を抱き続けざるを得ないのです。

と申しますのは、朝日新聞(200210月)には、次のように書かれているのです。


 小泉首相は13日、北朝鮮に拉致された被害者5人が15日に一時帰国することについて

帰国したからといって拉致の問題が解決したわけではないあくまでも一時帰国。これからです」と述べた。

 

 そして、朝日新聞(2004年3月1日)には、「出迎え方式」の記述があります。

 

 家族の帰国をめぐり、去年12月に北京で拉致議連事務局長の平沢勝栄衆院議員らが北朝鮮側と行った非公式接触を機に持ち上がったのが、拉致被害者5人が平壌に行き家族を迎え、日本にすぐに連れ帰るといういわゆる「出迎え方式」だった。

 

 小泉首相ご自身で、“帰国したからといって拉致の問題が解決したわけではないあくまでも一時帰国”と語っていたのですから、北朝鮮側の言い分もある程度受け入れ、この出迎え方式」を、5人の方々を自ら説得してでも、実現しようと努力されたのでしょうか?

 

 今回の「イラク人質事件」に於いても、ご家族の面会希望に対しても、

“面会しなくても家族のお気持ちは判る”

と、テレビ画面で語っていました。

本当に、面会しなくても、拉致被害者の本当のお気持ちが判るのでしょうか?

(曾我ひとみさんのお気持ちがお判りなのでしょうか?)

そして、被害者の方々のお気持ちを察するだけではなく、小泉首相が、今、これから、実施しようとすれ施策を、面会する事で、判りやすく丁寧に説明出来、又、ご家族の苦しみを少しでも和らげる事が出来るはずです。

 

 数か月前、小泉首相は、山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』を見て、“感激した!”と語っていたのではありませんか?!

 

そして、その「たそがれ清兵衛」が最も大事にしたのは、「家族愛」ではありませんか!?

一世帯でも多くの家庭に「家族愛」をもたらすよう努力するのが、首相としての小泉氏の使命ではないのですか!?


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